先日ディズニーをテーマにしたLT大会に登壇者として参加させていただきました。
▼どんなイベントなのか詳しくはこちら
ディズニー春の園遊会2025 ~Spring has sprung~ - connpass
ありとあらゆる角度からのLT(ライトニングトーク:5分間のミニプレゼン)に、笑ったり、感動したり、驚いたり、謎が深まったり(?)ととても楽しい時間を過ごせました!改めて運営・ご参加の皆さんありがとうございました!
当日のLTの抜粋版を以下に掲載します!雰囲気をお楽しみください。
レッツゴー大阪万博

万博なくして舞浜なし
こんにちは!今日は「レッツゴー大阪万博」と題してお話しさせていただきます。
まずは簡単に自己紹介です(中略)。さて、さっそく本題に入りますが、私が今日お伝えしたいことは、「万博なくして舞浜なし」ということです。もし万博がなければ、舞浜(東京ディズニーランド)は誕生しなかったのではないか?というのが私の持論です。では、なぜそう考えるのか、具体的に見ていきましょう。
万博とは?
そもそも「万博(万国博覧会/World's fair)」とは何かを簡単におさらいしましょう。万博は、世界各国が集まり、技術や文化を持ち寄って交流する世界規模のイベントです。このイベントは、世界各地の最新技術や文化が紹介され、未来のビジョンを示す場としても知られています。
一般的に、ディズニーと万博と言えばよく名前が挙がるのが1964年のニューヨーク万博です。この万博においては「イッツ・ア・スモールワールド」をはじめとして複数のディズニーアトラクションが登場し、多くの人々に感銘を与えました。
しかし、舞浜を語る上で外せない万博がもう1つあります、そう1970年の大阪万博です。大阪万博は本当にすごいイベントで、なんと半年間で6400万人もの来場者がありました。ちなみに、東京ディズニーリゾート(TDR)が最も人を詰め込んでいた時代の来場者数が3000万人前後なので、その規模の違いがわかりますね。
時系列で見てみよう
時系列で見ると、まず1964年のニューヨーク万博があり、その約10年後に1970年の大阪万博が開催されます。このあたりの時代はちょうど東京ディズニーランド開園に向けてのプロジェクトが進行する準備期間に合致しています。その後、1983年に東京ディズニーランドが開園するわけですが、タイミング的にも舞浜は様々な面で大阪万博の影響を受けていると考えられます。
大阪万博の影響
大阪万博はただの大規模イベントにとどまらず、その後の社会にも大きな影響を与えています。万博を起点に、新しい技術や価値観、日本初のシステムなどが数多く登場したのです。今となってはテーマパークでもおなじみの「セントラルキッチン」のシステムも、実はこの大阪万博で初めて導入されたものです。
また、大阪万博ではテーマに沿ったパビリオンが多数展示され、のべ数千万人もの来場者が「テーマ」に基づいた体験をしています。この体験が後のテーマパーク文化を受け入れる下地となったとも言えそうです。
他にもクリエイターの才能開花や、パビリオンでの建築技術の向上など多くの観点で、大阪万博を通じて舞浜に追い風が吹いていきました。
注目パビリオン:住友童話館
ここで一つ、大阪万博のパビリオンの例を見てみましょう。住友童話館というパビリオンです。建物の外観デザインもさることながら、テーマも素晴らしいんです。「美と愛と希望の泉」…なんて、まるで「ファンタジースプリングス」を思わせるようなテーマですよね。実は、1970年にこのようなパビリオンが存在していたのです。
そして、このパビリオンを手がけたのが、後に東京ディズニーランド(TDL)のプロデューサーとなる堀貞一郎さんです。堀さんは大阪万博で得た経験やノウハウを生かし、東京ディズニーランドのプロジェクトに携わることとなります。まさに、大阪万博のDNAが直接TDLに注ぎ込まれ、それが後の成功につながっていったのです。
まとめ
ということで、東京ディズニーランド(舞浜)は、まさに東西万博の二つの川が合流する地点にあると言えるのではないでしょうか。振り返ってみると、大阪万博があったからこそ、舞浜という場所にディズニーランドが誕生したと言っても過言ではありません。本当にあのタイミングで万博があったことが、舞浜にとってはとてもラッキーだったのだと感じます。
おさらいですが、「万博なくして舞浜なし」。ぜひこのことを覚えて帰ってくださいね!それでは、また次回お会いしましょう!

